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コラム
COLUMN



最高裁判決をのりこえて、
解雇撤回、職場復帰を実現
東亜ペイント配転解雇事件

          
阪南合同法律事務所

 

1.昭和61年7月、最高裁判所は東亜ペイント争議団の吉田の配転解雇事件で、大阪高裁での吉田勝利判決を破棄し、次のように述べて事件を大阪高等裁判所に差し戻しました。「使用者は業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができる」とし、その「業務上の必要性は、企業の合理的運営に寄与する点が認められる限り・・・肯定」、そして「特に転居を伴う転勤は、一般的に労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使できるものではなく、これを濫用することの許されないことは言うまでもない」としながら、「当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたとき労働者に対し、通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限り、当該転勤命令は権利の濫用になるものではない」としました。
 そして吉田が転勤となり、親、妻、子供と別居となり単身赴任になっても「家庭生活上の不利益は、転勤に伴い通常甘受すべき程度のもの」としたのです。

2.この判決は、新聞・テレビで大きく取り上げられ、企業べったりの判決と言うことで、批判をあびたものです。
 この最高裁判決は、配転事件のリーディグケースになってしまい、その後、様々な同種事案に影響を及ぼし、弁護団として申し訳ない気持ちです。
 なお、この最高裁判決をリードした最高裁調査官は、たしか、現在、最高裁判事の泉裁判官だと記憶しています。

3.しかし、大阪高裁に差し戻しとなった吉田事件は審理が続きました。
 他方、吉田と同じく組合活動をしたことを理由として配転解雇された藤原事件(同人は大阪から静岡への長期出張という名の転勤を命じられて、争っていた)は、このような逆風下にもかかわらず、翌昭和62年5月、会社の不当労働行為を理由に大阪地裁で勝利勝決を得、更に3年後の平成2年5月には大阪高裁でも勝利したのです。
 この間、会社は藤原事件の大阪地裁判決後間もなく、吉田・藤原を排除する役割を果たした労務屋の門永人事部長を解任し、藤原事件の大阪高裁判決後、吉田事件の高裁判決までに争議を解決したいと表明し、平成4年2月17日、両事件は大阪高裁で和解となりました。

4.和解内容は、会社が両名を職場復帰させ、相応の地位と給与を支払うなど、解雇がなければ得ていたであろう労働条件を補償し、解決金の支払をするという全面勝利の内容でした。
 実に、昭和49年以来、18年に及ぶ長期争議でしたが、仮処分決定、大阪地裁・大阪高裁ではすべて勝訴の判決を得ており、私自身、弁護士になった直後の事件で大変勉強となり、思い出深い事件です。

5.なお、吉田さん藤原さんとも職場復帰後、実力を発揮し、吉田さんは平成14年12月定年となりましたが、最終の地位は部長職です。

弁護士 西本 徹が、担当しました。







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